2008年8月26日火曜日

中国:五輪期間中にチベット支援活動で拘束の10外国人、強制送還などに――北京

中国:五輪期間中にチベット支援活動で拘束の10外国人、強制送還などに--北京
http://mainichi.jp/select/world/asia/archive/news/2008/08/26/20080826ddm041030092000c.html
(毎日新聞2008年8月26日)



中国:五輪期間中にチベット支援活動で拘束の10外国人、強制送還などに--北京
 【北京・共同】北京の米大使館は25日、五輪期間中にチベット支援活動で拘束された米国人8人が24日に釈放され、同日夜、米ロサンゼルス行きの航空機で米国に強制送還されたことを明らかにした。 北京の英大使館やドイツ外務省によると、このほか英国人女性とドイツ人男性の計2人も24日夜から25日朝に強制退去となり、中国を出国した。 送還されたのは米グラフィティアーティスト、ジェームス・パウダリーさんら。

2008年8月25日月曜日

巨龍はどこへ:五輪後の中国像/上

巨龍はどこへ:五輪後の中国像/上
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2008/08/28/20080828ddm002030048000c.html
(毎日新聞2008年08月25日)



巨龍はどこへ:五輪後の中国像/上 貫かれた中国式自由
 ◇「成功」の陰に抑圧 神父・デモ拘束、各国の助言機能せず
 紙1枚の「誓約書」には「約束」が個条書きされている。 《社会に危害を及ぼす行為はしない。違法な集会に参加しない》 《政府宗教部門の許可を得ていない外国の宗教組織・団体と接触しない》……。 末尾には、日付とサインを書き込む欄。北京のキリスト教会運営者の多くは北京五輪期間を含む7月15日~10月15日の3カ月間、活動を自粛する誓約書の提出を求められていた。
 人目を避けながら署名を要求したのは住民組織だが、「上」の指示なのは明らか。憲法で「宗教の自由」を保障する中国で、五輪の安全を理由に信者に足かせがはめられた。
 署名を拒否した信者がいる。華慧棋神父(46)。地下教会と呼ばれる非公認教会を運営する。「中国援助協会」(本部・米テキサス州)の傅希秋会長によると7月初め、公安当局者30人が北京市崇文区の華神父宅に押しかけ、一部を壊した。
   ■  ■
 「我々の社会で、キリスト教徒が自由に礼拝するのをご覧になったでしょう」。胡錦濤国家主席は10日、北京・中南海でブッシュ米大統領に語りかけた。
 数時間前、大統領は北京市東城区のキリスト教会「北京寛街経堂」で日曜礼拝を行っていた。礼拝後、大統領は聖堂前で「いかなる国も愛のある宗教を恐れるべきではない」とコメントした。抑圧的と国際的批判を集める宗教政策の緩和を中国に求めたが、その願いに反する事態がこの日、起こっていた。
 大統領の礼拝に合わせ寛街経堂に向かっていた華神父は、兄の慧林さん(52)と共に当局に拘束された。華神父は「中国人権」(本部・米ニューヨーク)に「殴られ、聖書も没収された」との手紙を送ってきた。政府公認の教会に属さない地下教会信者は増え続け、1000万人近いとの推定もある。
   ■  ■ 
 「チベット人は自由のために死んでいく」。五輪公園に隣接するテーマパーク「中華民族園」に突然、英語で大書された横断幕が広がった。13日の昼過ぎ。あっという間に外国人8人が警察官に連行された。
 拘束されたのは中国からのチベット独立を目指す「自由チベット学生運動」(本部ニューヨーク)のメンバーたち。その一人、ペマ・ヨーコさん(25)は釈放後、ロンドンで毎日新聞の取材に答えた。
 「あの場所を選んだのは『チベット文化に自由が認められている』とウソが展示されていたから」。中華民族園はチベット族を含む中国56民族の文化・慣習を紹介するが、当局の指導を受ける。
 五輪期間中、海外の多くの人権活動家が北京入りし、ゲリラ的に動いた。そのたびに彼らが事前連絡していた海外メディアが取材し、映像や記事が全世界へ流れた。
 ペマさんは1959年に中国チベット自治区を脱出した父と日本人の母を持つ。「海外のチベット人はなかなか中国に入れないが、私はラッキーだった。日本のパスポートを持っているので入国できた」。だが、拘束されてもすぐ国外追放される外国人はいい。
   ■  ■ 
 北京市豊台区に住む李学恵さんは、母親の呉殿元さん(79)の体を気づかう。「母はほとんど目が見えない。どんなにショックを受けたか」。電話口から不安が伝わる。
 呉さんは近所に住む王秀英さん(77)とともに17日、「公共の場の秩序を乱した」との理由で1年間の労働矯正を命じられた。
 2人は再開発による強制立ち退きを不服として今月に入り5回、市公安局にデモ申請をしたが、当局は受理しなかった。長時間の拘束後に釈放されたが、一度は裁判なしで労働矯正という「再教育」を老いた2人に科した。 市は五輪中、公園3カ所でデモを許可すると発表したが、77件あった申請のうち一件も認められなかった。「外国の助言を受け入れて実現した」(北京の外交筋)制度そのものが機能しなかった。
   ■  ■
 五輪が後半戦に入った18日、北京五輪組織委員会と国際オリンピック委員会(IOC)による定例記者会見。組織委の王偉執行副会長は「自由」について繰り返し問う外国人記者らに言い放った。
 「あなた方は中国を理解していない。街で市民にたずねるとよい。大多数の人が『暮らしに満足している』と答えるはずだ」 中国と欧米などの国々との間で広がる摩擦。それが相互理解と調和を目指した北京五輪の結果の一つかもしれない。【北京五輪取材班】
 ■写真説明 男子マラソンを沿道で応援する人たち =北京市内で24日、佐々木順一撮影

「成功」五輪、遠い存在 チベット・ウイグル・北京

「成功」五輪、遠い存在 チベット・ウイグル・北京
(朝日新聞2008年8月25日)
http://www2.asahi.com/olympic2008/news/TKY200808250180.html


「成功」五輪、遠い存在 チベット・ウイグル・北京
2008年8月25日12時49分
 広大な国土に少数民族との軋轢(あつれき)や貧富の格差、環境汚染など、深刻な内憂を数多く抱える世界最大の途上国での五輪が、幕を閉じた。国家指導者は「偉大な成功」と胸を張る。その裏で異論は封じ込めた。多くの国民にとって北京五輪は遠い存在でもあった。(ラサ=西村大輔、タシュクルガン=古谷浩一、北京=坂尻信義)
僧に毎日「愛国主義教育」 チベット
 24日、チベット自治区ラサのポタラ宮前広場。浙江省から観光で来た30代の漢族女性が「金メダル数が1位になってうれしい。国家の実力の象徴です」とはしゃぐ傍らで、20代のチベット族男性は「中国がいくつ金メダルを取ろうが、どうでもいい」と冷ややかだった。
 この男性は3月のチベット騒乱後、小銃を構えた武装警察官の家宅捜索を4回も受けた。若いチベット族が数人集まるだけで拘束されるという。「五輪後にチベット族への一斉家宅捜索が始まる、とうわさが広がっている。国際社会の関心が薄れると弾圧が強まるのではないか」
 当局が描いてみせるチベットはバラ色だ。自治区発展改革委員会の胡新生副主任は「北京五輪の大成功で観光客はさらに増えます」と胸を張る。「チベットの経済成長率は7年連続12%以上。識字率は95%を超え、医療制度も改善……」。だが、街で会ったチベット族の女性は「経済発展の恩恵は漢族ばかり受けている。私たちは仕事を見つけるのも大変」と嘆いた。
 寺院の管理はさらに強化され、3月に僧らが抗議デモを最初に始めたラサ郊外のデプン寺は門を閉ざしたまま。騒乱以降300回以上の「愛国主義教育」の講座や座談会が同寺で開かれたという。
 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世への批判も繰り返されている。別の寺院の僧は「政治学習が毎日。読経の時間も増やされた。当局は僧に自由時間を与えないようにしている」と話す。
 自治区民族宗教事務委員会の幹部は「法律で許されていること、許されないことを僧に知ってもらうためにも教育は必要。ダライ・ラマの欺瞞(ぎまん)性もしっかり知ってもらう」と強調する。信教の自由の侵害につながりかねないという問題意識は希薄だ。
 ある僧は語った。「北京五輪のスローガン『一つの世界、一つの夢』はすばらしい理想だが、ここでは当局が『一つの声』を押しつけただけだった」
「私たちに自由などない」 ウイグル
 新疆ウイグル自治区タシュクルガンは、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンと国境を接する西端の街だ。標高は3千メートルを超え、山々は頂に万年雪が輝く。人口約3万5千人のうち多くはイスラム系タジク族だ。
 パスポートがなくても地元の通行証で国境を越え、パキスタンへ行くことができた。イスラム教徒はここからメッカを目指す。当局が公認する巡礼は人数が厳しく制限されているからだ。しかし、五輪前に管理が厳格化。一本道にはいくつもの検問所が設けられ、国境警備部隊員が銃を手に立つ。
 ある住民の女性は、周囲を慎重に見回してから「タジク族の大規模な移住計画が進んでいる」と打ち明けた。5千人が半ば強制的に集められ、内陸部に移されるという。タシュクルガンを国境警備部隊だけの街にして周辺諸国との接触を断とうとしている、と住民たちは見ている。
 「私たちはどうなってしまうのでしょう。不安で仕方ない」。そこまで話したところで政府当局者の男性が近づいてきた。女性は口を閉ざす。恐怖で唇が震えている。
 五輪開幕直前に武装警察が襲撃された同自治区カシュガルでは、ウイグル族の自営業の男性(26)が匿名を条件に重い口を開いた。
 「私たちはテロリストなんかじゃない」
 事件以来、外を歩けば尋問される。漢族の若者がヘルメットに迷彩服姿で長い棒を手に練り歩く「民間警戒」も春から続いている。
 「この圧力がわかるか。私たちウイグル族には『自由』などない。不満の声を上げることさえできない」
 一連の襲撃事件は、地元当局が一部をウイグル族の「テロリスト」の犯行と明言。中国政府幹部は16日、北京での会見で「民族問題とは関係ない」と言い切った。
 胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席は五輪閉会直後の外遊で、上海協力機構の首脳会議が開かれるタジキスタンに向かう。「反テロ」で中央アジア諸国と連携強化を狙う構えだ。
「外出控えよう」標語 北京市民
 チベット問題は中国の「アキレス腱(けん)」、新疆ウイグル自治区は中央アジアの「火薬庫」と呼ばれる。しかし、チベット族もウイグル族も、総人口の1%に満たない。
 一党支配の閉塞(へいそく)感が漂う社会では、9割を占める漢族も不満を抱える。
 24日、「鳥の巣」周辺には使用済み入場券を売買するダフ屋の姿があった。収集家に人気があり、開会式の入場券は5千元(約8万円)の値をつけるものもあるという。農民の平均年収を超える額だ。
 人口の過半数を占める農民にとって、五輪は遠い存在だった。「鳥の巣」建設現場で働いた河北省の出稼ぎ労働者(33)に感想を聞こうとしたが、隣人宅の電話口に出た彼は「テレビがないから試合を見ていない」と答えた。
 北京の市民生活は犠牲にされた。街頭には「外国の友人に道を譲り、外出を控えよう」と標語が掲げられた。北京っ子は「避運」という造語を流行させた。「奥運(五輪)から避難する」の意味だ。市内3カ所で「公認」されたはずのデモは、一件も許可されなかった。
 北京に隣接する河北省では集中豪雨で農作物が被害を受けた。周辺に雨を降らせて北京を晴天にするため薬剤入りロケット弾を打ち込んだ「人工消雨」の影響と指摘されている。
 今年は中国が改革開放路線に転じて30周年。貧富の格差や共産党・政府幹部の汚職、深刻な環境汚染被害などは、その負の遺産だ。胡主席は24日、各国要人を集めた昼食会で「北京五輪の成功は中国と各国の人々の努力の結果」と誇ったが、東京やソウルと同様、五輪開催とともに国際社会の成熟した一員として認知されるには、残された課題があまりに多い。

2008年8月24日日曜日

北京の米大使館、五輪期間中に拘束された8人の釈放を要求

北京の米大使館、五輪期間中に拘束された8人の釈放を要求
(読売新聞 2008年8月24日20時20分)
http://www.yomiuri.co.jp/world/olympic/news/20080824-OYT1T00431.htm


北京の米大使館、五輪期間中に拘束された8人の釈放を要求
 【北京=末続哲也】北京の米大使館は24日、中国政府に対し、五輪期間中に北京で拘束された米国民8人の早期釈放を要求したと発表した。
 8人はチベットの人権状況改善を求める抗議活動などを行い、20~21日に拘束され、10日間の拘留処分を受けた。米大使館は「中国が五輪で寛容さを示せなかったことに失望した」とのコメントも発表した。
(2008年8月24日20時20分 読売新聞)


2008年8月23日土曜日

チベット支援者また拘束、英人女性ら外国人4人

チベット支援者また拘束、英人女性ら外国人4人
(読売新聞 2008年8月23日19時15分)
http://www.yomiuri.co.jp/world/olympic/news/20080823-OYT1T00574.htm


チベット支援者また拘束、英人女性ら外国人4人
 【北京=関泰晴】AFP通信によると、北京五輪の会場周辺で21日、チベットの人権状況改善などを訴える抗議活動を行った外国人の活動家4人が拘束され、うち1人に対し、中国の公安当局が10日間の拘留処分を下した。
 処分を受けたのは英国人女性とみられる。
 中国の公安当局は、すでに19日に拘束した米国人の活動家6人に対しても、同様に10日間の拘留処分とする措置を取っている。欧米のチベット支援団体は「中国当局は、24日の五輪閉幕に向けて活動家を取り締まる警備態勢を強化している」と批判している。
(2008年8月23日19時15分 読売新聞)

ダライ・ラマ14世:仏でも人気 大統領夫人と記念撮影

ダライ・ラマ14世:仏でも人気 大統領夫人と記念撮影
(毎日新聞 2008年8月23日 12時35分(最終更新 8月23日 12時53分))


ダライ・ラマ14世:仏でも人気 大統領夫人と記念撮影
 フランス訪問中のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世は22日、南部ロクルドンドで仏教寺院の開院式典に出席。サルコジ大統領のカーラ夫人とともに笑顔で記念撮影に納まった。
 2人は寺院の周囲を回り、ダライ・ラマは夫人の首に、チベットの儀式で歓迎の意を示す白布「カタ」を掛けた。ダライ・ラマの人気はフランスでも根強く、メディアは連日動向を報道した。【パリ支局】
毎日新聞 2008年8月23日 12時35分(最終更新 8月23日 12時53分)



フランスで22日、仏教寺院の開院式典に出席したダライラマ14世(左)とサルコジ大統領のカーラ夫人=ロイター 

2008年8月22日金曜日

チベット:ダライ・ラマ「18日のデモで中国軍が発砲」

チベット:ダライ・ラマ「18日のデモで中国軍が発砲」
(毎日新聞2008年8月22日)


チベット:ダライ・ラマ「18日のデモで中国軍が発砲」
 【パリ支局】フランスを訪問中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は21日付の仏ルモンド紙に掲載されたインタビューで、「チベット東部のカム地方(中国チベット自治区、四川・青海・雲南省にまたがる地域)で今月18日にあったデモの参加者に中国軍が発砲した」と話した。
 AFP通信の取材に、ジュネーブ駐在のダライ・ラマの代理人は「事件は四川省甘孜で起きた」と話した。一方、記事には「140人が殺された」というダライ・ラマの発言が出ているが、ダライ・ラマ事務所はそのような発言を否定した。
 ダライ・ラマはインタビューで「3月の暴動以降、チベット自治区ラサで400人以上が殺されたとの目撃情報がある」と語った。

2008年8月15日金曜日

中国:北京の繁華街でフリーチベット 垂れ幕の5人拘束

中国:北京の繁華街でフリーチベット 垂れ幕の5人拘束
(毎日新聞2008年8月15日)

中国:北京の繁華街でフリーチベット 垂れ幕の5人拘束
 【中国総局】チベット支援団体「自由チベット学生運動」(本部・米ニューヨーク)のメンバー5人が15日、英語と中国語で「チベットに自由を」と書かれた垂れ幕(幅約4メートル、高さ約6メートル)を北京のビジネス街で掲げて、地元警察に拘束された。 AP通信によると、この団体に所属する米国人3人と英国人、カナダ人各1人が北京市朝陽区にある北京五輪の巨大な屋外掲示板の上から垂れ幕を掲げた=写真・AP。

2008年8月14日木曜日

中国:チベット抗議 拘束の日本人も送還

中国:チベット抗議 拘束の日本人も送還
(毎日新聞2008年8月14日)

中国:チベット抗議 拘束の日本人も送還
 【北京・浦松丈二】北京の日本大使館に入った連絡によると、北京で中国政府に抗議するチベット支援団体の活動に参加して拘束された日本人女性、ペマ・ヨーコさん(25)=ロンドン在住=は14日未明、欧州行きの航空機で送還された。一緒に拘束された米国人7人も13日夜の米ロサンゼルス行きの航空機で送還された。

2008年8月11日月曜日

【いきいき】チベット交流会代表・西依玉美さん

【いきいき】チベット交流会代表・西依玉美さん
(産経新聞2008.8.11 08:04)
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080811/trd0808110806003-n1.htm


【いきいき】チベット交流会代表・西依玉美さん
 ■病気も忘れて支援に奔走
 先月末、横浜での国際交流イベントで、チベット騒乱のチベット人犠牲者の写真を展示した。「何人もの血まみれの射殺体。でも、多くの人が顔を背けることなく涙をためて写真を見、チベット弾圧の説明に真剣に耳を傾けてくれました」
 平成3年、チベット観光にあこがれて在日チベット人の映像祭を訪れた。「そこで初めてチベットが中国に侵略・支配されていることを知った。私が生まれる前から弾圧の犠牲者が続出している現実を知り、愕然(がくぜん)としました」
 弾圧で多くのチベット人家族が離散する姿が、自らの生い立ちと重なった。戦時中、奄美大島から沖縄に出稼ぎに行った父親が現地で母親と結婚し、西依さんら4人の子供が生まれた。「終戦後、米国統治となった沖縄から、父は3歳の私と2番目の姉だけを連れて奄美に戻りました」
                   ◇
 平成5年に「チベット交流会」を設立し、講演会、展示会、映像祭、料理教室、コンサート、語学教室…を横浜を中心に続ける。チベット亡命政府の駐日大使に相当するラクパ・ツォコさん(50)=ダライ・ラマ法王日本代表部代表=から亡命政府刊行書籍の翻訳も依頼され、『チベットの現実』『ダラムサラと北京』に続き、『中国圧政下のチベット50年』(仮題)の来春刊行もめざす。
 来年3月は8万7000人のチベット人が殺害された首都ラサでの反中民族蜂起、4月はダライ・ラマ14世がインド北部ダラムサラで亡命政府を樹立して半世紀の節目なのだ。
                   ◇
 すべての活動が順調だったわけではない。夫婦間の軋轢(あつれき)もあった。11~12年には吐血や半身マヒなどで「半分死にかけた」。今年初めにも吐血や極度の貧血などで入院した。原因は不明だが、輸血で調子が戻ったころ、チベット騒乱が起きた。「体調は万全ではなかった。でも今動かなければ、今までやってきたことはどうなるの、という一心で活動を再開しました」
 ラクパさんを招いた講演会、中国のチベット弾圧への抗議署名集め、長野・善光寺周辺でのチベット支援催事協力…。週3日はパートも続ける。「週1日は休養日にしていますが、この日はもう何もできません」
 半面、長野市鬼無里(きなさ)への移住が間もなく実現する。古民家を400万円で購入し、少しずつ続けたリフォームが今秋で終わる。「鬼無里は酸素が濃い。体にいいですよね。子供のころの自分に戻る場所なのかも。都会に疲れた人や地域のためにも活用したい」。移住計画を聞いた善光寺関係者から「長野のチベット支援活動が活発化する」と、早くも待望論が巻き起こっているという。
 「最近、表情が明るくなったって皆から言われるんですよ。ダライ・ラマ法王の『敵だけが忍耐と寛容と慈悲を教えてくれる最良の友だ』という言葉を実践してきたおかげかしら、アハハハ…」。屈託のない笑みがこぼれた。
 文 八並朋昌
                   ◇
【プロフィル】西依玉美
 にしより・たまみ 昭和33年4月生まれ、50歳。高校卒業後に上京、神奈川県の複写機メーカーに就職し、20歳で職場結婚。3歳で生き別れた母親らと3年前に再会した。28歳を頭に社会人の3男1女が、チベット交流会の活動を手伝うことも。チベット人や国内の支援組織に幅広い人脈を持つ。
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