2008年8月11日月曜日

【いきいき】チベット交流会代表・西依玉美さん

【いきいき】チベット交流会代表・西依玉美さん
(産経新聞2008.8.11 08:04)
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080811/trd0808110806003-n1.htm


【いきいき】チベット交流会代表・西依玉美さん
 ■病気も忘れて支援に奔走
 先月末、横浜での国際交流イベントで、チベット騒乱のチベット人犠牲者の写真を展示した。「何人もの血まみれの射殺体。でも、多くの人が顔を背けることなく涙をためて写真を見、チベット弾圧の説明に真剣に耳を傾けてくれました」
 平成3年、チベット観光にあこがれて在日チベット人の映像祭を訪れた。「そこで初めてチベットが中国に侵略・支配されていることを知った。私が生まれる前から弾圧の犠牲者が続出している現実を知り、愕然(がくぜん)としました」
 弾圧で多くのチベット人家族が離散する姿が、自らの生い立ちと重なった。戦時中、奄美大島から沖縄に出稼ぎに行った父親が現地で母親と結婚し、西依さんら4人の子供が生まれた。「終戦後、米国統治となった沖縄から、父は3歳の私と2番目の姉だけを連れて奄美に戻りました」
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 平成5年に「チベット交流会」を設立し、講演会、展示会、映像祭、料理教室、コンサート、語学教室…を横浜を中心に続ける。チベット亡命政府の駐日大使に相当するラクパ・ツォコさん(50)=ダライ・ラマ法王日本代表部代表=から亡命政府刊行書籍の翻訳も依頼され、『チベットの現実』『ダラムサラと北京』に続き、『中国圧政下のチベット50年』(仮題)の来春刊行もめざす。
 来年3月は8万7000人のチベット人が殺害された首都ラサでの反中民族蜂起、4月はダライ・ラマ14世がインド北部ダラムサラで亡命政府を樹立して半世紀の節目なのだ。
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 すべての活動が順調だったわけではない。夫婦間の軋轢(あつれき)もあった。11~12年には吐血や半身マヒなどで「半分死にかけた」。今年初めにも吐血や極度の貧血などで入院した。原因は不明だが、輸血で調子が戻ったころ、チベット騒乱が起きた。「体調は万全ではなかった。でも今動かなければ、今までやってきたことはどうなるの、という一心で活動を再開しました」
 ラクパさんを招いた講演会、中国のチベット弾圧への抗議署名集め、長野・善光寺周辺でのチベット支援催事協力…。週3日はパートも続ける。「週1日は休養日にしていますが、この日はもう何もできません」
 半面、長野市鬼無里(きなさ)への移住が間もなく実現する。古民家を400万円で購入し、少しずつ続けたリフォームが今秋で終わる。「鬼無里は酸素が濃い。体にいいですよね。子供のころの自分に戻る場所なのかも。都会に疲れた人や地域のためにも活用したい」。移住計画を聞いた善光寺関係者から「長野のチベット支援活動が活発化する」と、早くも待望論が巻き起こっているという。
 「最近、表情が明るくなったって皆から言われるんですよ。ダライ・ラマ法王の『敵だけが忍耐と寛容と慈悲を教えてくれる最良の友だ』という言葉を実践してきたおかげかしら、アハハハ…」。屈託のない笑みがこぼれた。
 文 八並朋昌
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【プロフィル】西依玉美
 にしより・たまみ 昭和33年4月生まれ、50歳。高校卒業後に上京、神奈川県の複写機メーカーに就職し、20歳で職場結婚。3歳で生き別れた母親らと3年前に再会した。28歳を頭に社会人の3男1女が、チベット交流会の活動を手伝うことも。チベット人や国内の支援組織に幅広い人脈を持つ。
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