2008年3月15日土曜日

チベット:ラサ暴動 五輪前、中国政府に打撃 新たな国際摩擦に

チベット:ラサ暴動 五輪前、中国政府に打撃 新たな国際摩擦に
(毎日新聞 2008年3月15日)


チベット:ラサ暴動 五輪前、中国政府に打撃 新たな国際摩擦に
(毎日新聞 2008年3月15日)
◇分離・独立、「記念日」狙い行動か
 【北京・大谷麻由美】分離・独立運動がくすぶる中国西部、チベット自治区の区都ラサで14日、チベット族による暴動が発生したことで「新中国成立以来、最大の国家イベント」とされる北京五輪を8月に控えた胡錦濤指導部が大きなダメージを受けるのは必至だ。
 また、北京では全国人民代表大会(全人代=国会)が開催中でもあり、今年の全人代で2期目に入る胡錦濤指導部が今後、国内の安定にどのように対処していくか。国際社会は中国の人権問題と絡めながら、監視を強めていくとみられ、新たな対中摩擦になる可能性もある。 胡錦濤政権は「調和の取れた社会」実現を国内外にアピールしてきた。これは地域格差の解消、安定した国際環境を整えることにあるが、5月に予定される胡主席の訪日時にも、国際人権団体などの大規模な抗議活動が展開されそうだ。
 チベット自治区や隣接する青海省では、インド亡命中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を敬愛する住民が現在も多い。中国当局はチベットへの鉄道敷設などインフラ整備を進め、「アメ」を与えるとともに、ダライ・ラマ14世の関係者と水面下の交渉も加速化し、懐柔策も取る一方、分離・独立運動への取り締まりを強化するなど「ムチ」も同時に続け、チベット統治に自信を深めていた。それだけに今回の暴動に大きな衝撃を受けているのは間違いない。
 14日は中国政府がチベットほか、新疆ウイグル自治区、台湾などの分離独立を封じ込めるために設けた「反国家分裂法」の制定からまる3年。また10日は、ダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなった1959年の中国軍によるチベット武力鎮圧から49年だった。
 中央政府への反発を強める分離・独立運動が「記念日」に合わせて行動を起こした可能性も否定できない。また、台湾では22日に総統選が控えており、台湾の独立を求める団体と連動した可能性もある。
 今回のデモへの対応次第では、五輪ボイコット運動へと発展しかねない。海外の非政府組織(NGO)などはチベット問題を理由に、企業に北京五輪での協賛を取りやめるよう働き掛けている。
 五輪開幕式の芸術顧問をいったんは引き受けていた米映画監督スティーブン・スピルバーグ氏は、スーダンのダルフール問題を理由に顧問を辞任した。近づく五輪を前に、胡錦濤指導部は難しい対応を迫られそうだ。
 ◇2万人ほう起を中国が武力制圧
 中国は1951年、チベットに人民解放軍が進駐。ダライ・ラマ14世をトップとするチベット政権と「チベット平和解放に関する協定」を結んだ。59年3月に社会主義化の影響を恐れた農奴主ら約2万人が蜂起したが、武力で制圧された。ダライ・ラマ14世は亡命し、インド北部のダラムサラを拠点に亡命政府としての活動を続けてきた。
 89年3月に再び大規模な暴動がラサで発生し、戒厳令を敷いた。同年、ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受賞。90年代前半にも抗議活動や僧侶の拘束が相次いだが、最近は自治区内での目立った抗議活動は起きていなかった。06年7月にはラサまで乗り入れる青蔵鉄道が開通し、観光ブームにわいていた。
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 ◇チベットをめぐる主な動き
1949年 中華人民共和国が成立
 51年 人民解放軍がチベットに進駐、「チベット平和解放に関する協定」をチベット政権と締結
 59年 農奴主ら約2万人が蜂起したが、軍が鎮圧。ダライ・ラマ14世がインドに亡命
 65年 チベット自治区が成立
 66年 文化大革命(~76年)で寺院破壊が激化
 79年 亡命政府使節団がチベット初訪問
 88年 ダライ・ラマ14世が独立から「高度な自治」に要求を変更
 89年 ラサ暴動が発生し、戒厳令が敷かれる。ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞
 93年 独立要求デモが相次ぐ
2000年 チベット仏教カギュ派最高位の活仏、カルマパ17世がインドに出国

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